おそるおそるの退職願いがもたらした未来。ウソのようなホントの話。

2016-03-06 15:17:47.522

こんにちは!50代からあわててお金の勉強中の、不動産投資家やんつです。
社会人としてお金のことを勉強したいあなたと、アクティブシニアになりたいあなたへ・・

親父の夜逃げシリーズ(2)です。

親族会議の後、借金返済に専念する覚悟を決めて大阪に戻りました。
と、その話の前に1983年(昭和58年)がどんな年だったか振り返ってみましょう。

■高度成長後、バブル前

ちょうど日本は中曽根首相で、米国はレーガン大統領の時代。
「ロン・ヤス」関係と呼ばれていました。

日本の名目GDPは289兆円。バブル絶頂の523兆円(1997年)に向けて調子の良かった時代。
(2015年は約500兆円です)

人口は2014年の1億2708万に対し、1983年は1億1953万人。
年間出生数は約151万。2014年の約100万人に比べれば、多く感じますが
団塊の世代の出生数約260万人からは既に大幅に減っています。すでに足元では少子化が忍び寄って来ていた訳です。

イッツ・ア・スモールワールド1983
この年は東京ディズニーランドが開園した年でもあります。
大阪府枚方市にはTSUTAYAの1号店がオープン。
任天堂の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」もこの年に発売されました。

この年の流行語は、愛人バンク、貸しレコード店、軽薄短小、おしん、など。

確か、当時の月給は約14万と記憶しています。
入社時の初任給が11.4万円ですから、現在の約20万円の6割以下。
まぁ、33年前の話ですが・・・。

この時代は景気が良かった分、金利の高い時代でもありました。
長期金利は8.4%!(日銀 預金・貸出関連統計)

執筆時点の0.05%と比べるとなんと168倍!
定期預金に放ったらかしでも資産形成が出来た良き時代です。

TBSの歌番組「ザ・ベストテン」の絶頂期で、
松田聖子、中森明菜のアイドル全盛時代でもあります。

みんな、明るい未来を信じてた時代・・・。

でも、わたしはめっちゃブルーでした。

(借金返済て言ってもなぁ・・・どないすんねん・・・)

■「退職願い」がもたらした奇跡

わたしの勤務先は上場会社の子会社(本社東京)の大阪支店。大阪駅から地下鉄で1駅、肥後橋という所です。

中小企業向けのコンピュータ販売とシステム開発をやっていました。
(当時はオフィスコンピュターと呼ばれていた分野です)

大阪支店は50人程度の所帯で、そのシステム営業部に所属していました。

1981年入社でちょうど3年目に入ったところ。
メーカー主催の販売店向けコンテストで関西地区の優秀新人賞を取るなど、それなりの成績を上げていました。

「ねえ、退職願いってどう書けばええの?」
目をまん丸にした事務の女子に聞きながら、書類を書きました。

意を決して、上司である課長と支店長に面談を申入れます。

「実は、父親の借金返済に専念するために辞めんとあかんようになりました。すいません・・・」
声が震えていたかもしれません。

いきさつを一通り説明した後、支店長が尋ねます。

「山本君は会社がいやで辞めたいんか?」

「いえ、出来ることなら辞めたくないんですが・・・仕方がないんです。」

「そうか・・・。 で、この仕事は好きか?」

「はい! 仕事も会社も大好きです!」

「ほんまか・・・ 何かいい知恵ないか、ちょっと考えるから時間くれへんか?」

「はあ・・・」(とは言うても、どうにもならんやろなぁ・・・)

とこんなやりとりでした。

数日後に再度の面談。
今度は本社の専務も同席しての話し合いでした。

「山本君、実は金沢に営業所を出そうという話があるんだ。ついては、君にやってもらおうと思ってる。」

「えっ!? ホントですか? 辞めなくていんですか!?」

専務からの思わぬ言葉に、急に目の前が明るくなりました。
隣で支店長がにこにこしながら頷いています。

「ああ、お父さんの借金を返しながらでいい。うまく時間の合間を見ながらやってくれたらいい。」

聞けばとある代理店の金沢営業所があり、そのフォローのため、以前から拠点設立の要請が来ていたとのこと。

その売上は少しづつ上がってはいるものの、拠点進出コストも掛かるため本社では二の足を踏んでいたそうです。
そこに金沢出身のわたしの話が出て、それならとなった模様。

管轄は東京本社だったために大阪のわたしにはそんな代理店の話自体、全くの初耳でした。

「はい! やります。やらせて下さい!」

「そうか、借金返済も大変だと思うが頑張れよ。」

こうして、最大の不安点だった「無職」どころか、一転して初代営業所長という「栄転」としての帰郷となりました。

今、思い返してもラッキーというか奇跡的な話だと思います。
26歳の若造に拠点を任せるという大胆な決断をしていただきました。
本当にありがたいことです。
(結局、この会社には18年間お世話になりました)

ちょうど代理店からの要請がなかったら・・・?
26歳の若輩ということで他の役員が反対していたら・・・?

(実際に、抜擢されたことを快く思わない本社の人間もいたようです)

こうして憂鬱気分から、がぜんファイト満々になって、
わたしは借金の待つ金沢へ帰ることにしました。

やるぞー!
ようし、やるぞーー!

8月末に引越し、事務所の準備を整えて10月からの営業所オープンだったと思います。

そして、金沢で待ち受けていた次のハードルは「市街化調整区域」「約束手形」でした。
(続く)

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
個人的な話ですが、お読みいただけると嬉しいです。

「よくやった!」税務署のおじさんの褒め言葉に、思わずこみ上げてきたもの。

2016-02-29 22:32:17.595

こんにちは!50代からあわててお金の勉強中の、不動産投資家やんつです。
社会人としてお金のことを勉強したいあなたと、アクティブシニアになりたいあなたへ・・

個人的な話で恐縮ですが・・・
わたしのプロフィールで、よく聞かれるのが親父の残した借金の返済話。
そろそろ忘れないうちに、書き溜めようと思います。
(といっても、なんせ30年以上前のこと。だいぶ忘れてますww)

ということで、親父の夜逃げシリーズ(1)です。

■「よくやった! 偉い!」

分厚く膨れ上がったA4バインダー5冊の資料を差し出すと、ごま塩頭の税務署員が大きな声で褒めてくれました。

当時、わたしはIT企業に勤める29歳のごく普通のサラリーマン。
その税務署のおじさんとは、約1年前に税務相談に来て以来、2度目の面談でした。

時は1986年3月、親父の借金を完済し、最後の事務処理として「代位弁済」の証明書類を確定申告として税務署に提出した時のことです。

バインダー

「代位弁済」とは、父親が社長をしているものの別の法人格である山本商事の借金を、保証人である父が個人資産を売却して返済したときに受けられる、譲渡所得の特例。
(詳しくは、後日)

つまり、他人の借金のために不動産を売ったんだから税金はまけてよね~という申告。
長期譲渡所得の20%(住民税含む)が税金ですからバカになりません。
1億円の土地売却なら2000万円が税金で取られてしまいます。

ごま塩頭のやさしく笑うおじさんも、約1年前にわたしにアドバイスしたものの、ここまできちんと揃えてくるとは思わなかったようです・・・

足掛け3年に渡る借金返済物語の終了でした。

「やっと、終った・・・」 無我夢中の3年間でした。
肩の荷がおりてほっとした、というのが正直なところ。
今、考えてもよくやったなと思います。

それでは時計の針を戻して、苦難の物語の始まりから。

■「父ちゃんが逃げた・・・」と、叔父は切り出した。

それは1983年5月のゴールデンウィークのことでした。
石川県野々市市の実家の大広間で親戚(6家)が揃った中、親族の中では若輩ながらしっかり者で発言力もあったH叔父はこう切り出しました。

わたしは1956年生まれ26歳のサラリーマン。
男2人兄弟の次男です。
当時、京都の大学を出て、東京に本社のあるIT会社の大阪支店に勤務していました。

家は親父で6代目となる農家。
初代は江戸末期の文化・文政頃であることが過去帳で分かっています。
まぁ先祖代々の田舎の農家ということ。
700㎡程度の田んぼが45枚ほど。約3.0ヘクタール(3万㎡)が耕作地。
近隣の中ではまずまずの規模でした。

農家の傍ら、親父は不動産業も営んでおり、これが今回の話の発端です。

生家が農家のため5月の連休には田植え、8月の夏休み後半は稲刈りを手伝うのが、小さい時からの習慣でした。
(北陸は早稲農家のため少し時期は早めです)

その年の5月の連休前に、お袋から何時帰省するのかの確認の電話がありました。
これまでにそんな電話があったことはありません。
いつも帰省の1~2日前に、「帰る」とこちらから電話するだけ。

なんだかいやな予感・・・
(といっても親父が困窮してるとかも全く知りませんでした)

おそるおそる帰ったところ、冒頭の親族会議となった分けです。
沈痛な面持ちでみんな並んでいます。お袋も暗い顔でうつむいたままです。

実家前景1998

「お前の父ちゃんが逃げた・・・」
「借金が幾らあるかもよう分からん。借金取りも来て大変なことになっとる。」

びっくり仰天でした。

H叔父の説明によると、借金が返せず親父が夜逃げしたとのこと。
相手先も金融機関以外は分からず、金額も不明だとか。
(その後、約2億円と判明)

田畑、家屋敷が担保に入っているのは当然ながら、困っているのは親族がそれぞれ連帯保証人として名を連ねていること。

このままでは田畑を取られて路頭に迷い、しかも親族にまで累が及ぶ。
誰かがやらなければならない・・・

「なんとか踏みとどまって、田畑をうまく処分しながら借金を返すしかないがや。時間も工数も掛かるけど、親戚にはそんなに時間の割けるやつはおらん。」
「お前しかおらんがや。」
「悪いけど、頼む!」

みんなの真剣な眼差しに、実感はないものの大変な事態であることだけは分かります。
叔父、伯母の顔には、こんな事を頼んで申し訳ないという思いと、とはいえ他に方法はないという諦めの表情とが交差しています。

その後、H叔父は続けます。
「すまん。1年は無職を覚悟してくれ・・・」

えーーーーっ! それマジかよ!??

なんと返事をしたのか覚えていません。頭の中は真っ白でした。
ローンも組んだことの無いサラリーマンに借金返済と言われても、何をしていいのか全くイメージは湧きません。
その晩は寝付けませんでした。

「こりゃ、まいった・・・どうしたらいいんだ・・・」

長男がいるのに、何故次男のわたしがという方もいらっしゃるでしょうが、兄は昔から芸術家タイプ。
次男(わたし)が数字や経済に強い、という役割分担が出来てました。
なので「お前しかおらんがや。」と言われた時に「そうだろうな・・・」とぼんやり考えたのを覚えています。
この件で、兄を恨みに思ったことは全くありません。

ところで兄夫婦はこの話に絡んでいないと、ずーっと思っていたのですが最近聞いたところでは、
この親族会議の時に裏方のお茶出しなどをしていたとのこと。
兄なりに陰でやきもきしてたようです。

どうして「いやだ。俺には出来ない」と言って逃げなかったのか?
よく聞かれるんですが・・・

親族が連帯保証人になっているという事実を前にして、不思議と逃げるという考えは湧きませんでした。
小さい時から可愛がってもらった叔父さん、伯母さんには迷惑はかけられんな、と。
実家だけの話なら。関係ないよと放棄したかもしれません。

ただ、NOと言える雰囲気でも無かったのも事実。
「困った。参った。」とは思いましたが、仕方がないと腹を括りました。

大阪に戻って勤務先に退職を申し出ることにしました。
コンピューター販売の仕事はとても好きでしたが・・・ (続く)

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
ちょっと個人的な話ですが、お読みいただけると嬉しいです。

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やんつ(山本 常勝)

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