こうして嵐の2年間が終った… わたしが親父の借金を完済できたわけ
Sep 30, 2016
こんにちは、人生は50代からがもっと楽しい!不動産投資家やんつです。
社会人としてお金のことを勉強したいあなたと、アクティブシニアになりたいあなたへ・・
1983年、26歳のサラリーマンのわたしが借金から逃げ出した親父に替わり返済する
親父の夜逃げシリーズ(11)最終話です。
まだお読みでない方は、ぜひ最初からお楽しみください。
(1)「よくやった!」税務署のおじさんの褒め言葉に、思わずこみ上げてきたもの。
(2)おそるおそるの退職願いがもたらした未来。ウソのようなホントの話。
(3)2億円の借金の実態・・・。 債権者は誰だ?
(4)丸刈りの社長は言った「で、今日はどういう話やねん?」
(5)そして親父の2億円の借金だけが残った・・・。そのわけは?
(6)2億円の借金でどん底の男と、2億円の借金でにんまりする男。
(7)安値125万円と高値5600万円! たたき売りと高値売り抜けでは天国と地獄。
(8)進みだした借金返済。 とはいえ、2億のゴールは遠かった…。
(9)進みだした借金返済。鍵を握るのは遠い親戚より近くの他人。
(10)最後の戦い…税金がなんと5000万円超! 秘策は「代位弁済」
■ 岐阜のXX興産への返済
前回までに、銀行への返済の顛末と代位弁済の特例についてお話しました。
まとめると、
【土地売買代金】
一般売買金額= 約 8000万円
農業短大売買= 約1億4000万円 計2億2000万円
【節税金額】
うち「代位弁済」でまけてもらった税金=約5200万円 です。
最後に、シリーズ(4)で登場した岐阜のXX興産という反社会的団体っぽい会社への返済の顛末が抜けていました。
対象はゲーム機の購入のためとおぼしき約束手形1500万円。
当初の交渉で、3年の猶予をもらっていました。
実は、一般売買が成立した時点で返済を考えました。
なにしろ、ここの分は早く返して手を切りたかったのです。
しかし、締切りまではまだ2年近くある…。なんか、勿体無いなあ…
そうだ、早く返すんだから値切っちゃえ!
借入れ金利が6~7%の時代です。
早期返済すれば相手としても得なはず、と考えました。
電話での交渉でした。
「何とか、早めに資金ができました。いただいた期限までには時間がありますが、優先してお支払しようかと思います。
そこでご相談ですが、早めに払う分の金利相当を負けてもらえませんか?」
「あと2年間待つより今のうちに確実に回収するほうが、そちらもお得では?」
1割程度値切った記憶があります。
すんなりOKしてもらえました。
さて、最終清算のため岐阜へ2回目の訪問です。
正面の3人掛けのソファ、メガネをかけた体格のいい社長がどっかりと座ります。
相変わらず、ソファの後ろには若い衆が立っています。
すんなり終り、手形が回収できました。
「山本さん、ええ息子さん持ったね…」 と社長から…。
■ わたしが借金返済できたわけ
ここまでお話したように、単に土地を上手く切り売りしながら返済しただけで、大げさなドラマがあったわけではありません。とはいえ、普通のサラリーマンにはできない経験をしたのも事実。
借金するには借金できる背景があります。
土地や資産やビジネス基盤など。結局、それらを使って返すしかないのです。
山本家の場合は、それがたまたま土地だったという次第。
予想以上の短期間で返済出来、ある程度の土地や実家も残すことが出来ました。
これには、金融機関を含め親戚や関係者みんなが驚いたようです。
今振り返ってみて、短期間に借金返済できた理由は2つあります。
1) 周囲が助けてくれた
結局、大勢の人に助けてもらったことで難局を乗り切れました。
H叔父やその他親戚やNさん、みんなが運転資金を出してくれたおかげで活動に専念できました。
最初に返済凍結に同意してくれた、金沢信用金庫のN支店長。
それがキッカケで他行の同意を取り付けられました。
転勤させてくれた、勤務先の支店長や専務。無職にならずに済みました。
換地に同意してくれた、近隣の地主さん。おかげで売買がまとまりました。
田の売買許可を出してくれた農業委員会…。ありがとうございます。
何事も一人でできることは限りがあります。
人に助けてもらうことで、ようやく事は成し遂げられます。
ただ感謝、感謝です。
2) 自分で作った借金ではなかった
銀行への融資凍結交渉や短大との交渉など、短期間に精力的に活動したわけですが、冷静に行動出来た最大の理由は自分で作った借金ではなかったからです。
自分の借金なら、後悔や反省、切迫感…。様々な感情やストレスから逃れられません。
親父とはいえ、他人の借金だからこそ冷静に対処できたのだと思います。
知人でも起業後、血の小便が出た人がいます。
親父も安眠できず、睡眠薬を常用していました。
借金が自分のせいだったとしたら…。とても自信はありません。
切迫感や後悔の念、様々なものがよぎり、冷静ではいられないでしょう。
その現実を受け入れられないかもしれません。
自分で作った借金を、逃げずに自分の手で返済する。
これができる人はホンモノです。
こうして嵐の2年間が終りました。
えっ!? 親父はその後どうしたか、ですって?
…
…。
借金が無くなったら、何食わぬ顔で実家に戻ってきて、ひと悶着あったものの無事に晩年を実家で過ごしました。
ちゃんちゃん!
親父の2億の借金で不動産と借金に懲りたはずのわたしが、30年後同じように2億の借金をするとは、全く人生とは不思議です…。
最後まで個人的な話をお読み頂き、ありがとうございました。