丸刈りの社長は言った「で、今日はどういう話やねん?」
こんにちは、人生は50代からがもっと楽しい!不動産投資家やんつです。
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親父の夜逃げシリーズ(4)です。
さて親父の残した借金の概要が見えてきました。
地元の金融機関3行で1.8億円。
得体のしれないXX興産に1500万円の約束手形。
このあぶなそうなXX興産にも行く必要がありますが・・・。
そもそも何処の会社かもよく分かりません。
で、親父に聞くことにしました。
えっ!? 何それ?
父親は夜逃げしたんじゃないのか、ですか?
それはそうなんですが、実は親父の居所は分かっていました。
■親父の居所
当時の父親は52歳。料亭の仲居の愛人とその連れ子の3人で住んでいました。
場所はなんと同じ町の、実家から5Kmと離れていないところ!
わたしが借金の話を聞くもっと前から、ほとんど家には帰らなくなっていたようです。
借金のことで母から責められるのがいやだという心理もあったでしょう。
親戚から問い詰められるのがいやで、居場所がばれる度に何度か居所を変えたようです。
(迂闊な話ですが、わたしは大学からずっと関西に出ており、この辺の事情をあまり知りませんでした)
逃げたといっても、いつも車で実家から15分とかからないところにいたそうです。
せいぜい半径5Km以内です。
狭い町です。そんな近所にいれば、父の顔を見かける人もいて居所はいつもバレていました。
この時は探偵を使って突き止めたとか聞きました。
ただ、場所が分かっても親戚が行くと居留守を使って会おうとはしませんでした。
みんな困り果て、息子のわたしなら何とかかなるのではということで
親父の夜逃げ(1) の親族会議となったわけです。
借金から逃げ出した割には遠方へ行かず近くにいるとは変な話ですが、やはり自責の念あったんでしょう。
自分で返す力や方策はないが気にはなる、という感じでしょうか。
心理的にも追い詰められてたようで、当時は夜も寝れず睡眠薬を常用していました。
■岐阜のXX興産
愛人宅に転がり込んでいた親父を訪ね、XX興産の話をしました。
流石に親父もあそこは放置できないと思っていたのか、すんなり訪問を了承をしてくれました。
岐阜の会社であることはこの時知りました。
大阪から金沢への引っ越しも終えた、8月末だったと思います。
親父の運転で、2人で高速で岐阜大垣市に向かいました。
わたしは緊張していましたが、車の外は何だかとてもいい天気。
北陸道を米原まで2時間走り、そこから名神高速道路で大垣へ。
下町の大きな屋敷の前で車は停まります。
自宅の一角が事務所のようでした。
応接に通されると、丸刈りで恰幅のいいおっさんが正面の3人掛けのソファにどっかりと座ります。
実家に来たとかいう人でしょう。
ソファの後ろには若い衆が両脇で2人直立で立っています。
「で、山本さん、今日はどういう話やねん。」
親父はソファに腰かけて手を膝につき背筋を伸ばしたまま、ややうつむき加減にほとんど硬直状態です。
「・・・・」
仕方がないので、勇気を振り絞ってわたしが話します。
「実は手形のことなんですが・・・
なんとか返しますので、3年待ってもらえませんか?」
緊張していたんでしょう。その辺りから記憶が曖昧です。意外とすんなりと返済猶予がまとまったと思います。
若い息子に同情したのかもしれません。
ほっとして帰路につきました。
今考えると、向こうとしても遠く離れた田を押さえたところで現金化は大変です。
しかも手形の額面は1500万円ですが、実際にはいくらで入手したのか怪しいものです。
ある程度の金になれば御の字だったのかもしれません。
途中、養老サービスエリアで
「この辺にあの昔話で有名な養老の滝があるのか・・・」
とぼんやり思った記憶があります。
片道3時間、往復6時間ほどの晴天の中のドライブ。
親父はほとんど口をききませんでした。
さて、こんな親父はどうして2億の借金を作ったんでしょう?その話は次回に。
(続く)
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
個人的な話ですが、お読みいただけると嬉しいです。